
伝承・都市伝説
東京には「絶対に動かしてはいけない場所」がある。
東京・大手町。巨大なビルが並ぶ、日本屈指のビジネス街。古い建物は壊され、新しいビルが建ち、東京は何度も姿を変えてきた。しかしそのど真ん中に、1000年以上前に死んだ一人の武将を祀る場所が、今も残されている。「将門塚」。祀られているのは平将門。そしてこの場所には長い間、「粗末に扱ってはいけない」「動かしてはいけない」という話が語り継がれてきた。なぜ、東京の超一等地にこの場所だけが残り続けているのか。
平将門とは何者だったのか
時代は約1000年前、平安時代中期。関東を拠点とした武将・平将門は朝廷と対立し、「新皇」を名乗ったとされる。しかし940年、将門は戦いに敗れ、命を落とす。その首は京都へ運ばれ、さらされたと伝えられている。そしてここから、歴史は「伝説」に変わっていく。
京都にさらされていた将門の首が、故郷の関東を目指して空を飛び、現在の大手町付近に落ちた――有名な「飛首伝説」だ。もちろん、首が空を飛んだという歴史的証拠はない。これは伝説である。しかし、その伝説が語られる場所に、現在も「将門塚」が存在している。
そして「祟り」の物語が始まる
将門の死から約360年後、14世紀初頭、将門塚周辺で天変地異などが起こり、人々はそれを「将門の御霊によるものではないか」と恐れたと伝えられている。1307年、時宗の僧・真教上人が将門を供養。1309年には神田明神に合祀された。つまり「将門の霊を鎮める」という行為は、700年以上前から続いている。
1923年、関東大震災が東京を襲う。将門塚周辺も被害を受け、その後、大蔵省の庁舎を再建する過程で塚は崩されたとされている。そして奇妙な噂が広がり始める。「塚を壊した後、関係者に不幸が相次いだ」「工事関係者が亡くなった」「大蔵省で事故や病人が続出した」。人々は再び囁いた。将門の祟りではないか、と。
どこまでが事実なのか
ここは重要だ。将門塚が存在すること、平将門が古くから祀られてきたこと、関東大震災後、塚が崩された歴史があること――これらには歴史的背景がある。しかし、その後に起きた事故や死が「将門の祟り」によるものだったと証明することはできない。後世に脚色された話もあるだろう。「祟りがあった」と断定することはできない。しかし、話はそこで終わらない。
なぜ今も大手町に残っているのか
大手町は日本経済の中心ともいえる場所だ。周囲では再開発が繰り返され、巨大なオフィスビルが建ち並ぶ。それでも将門塚は今もそこにある。しかも放置された史跡ではない。現在も大切に管理され、将門の御霊を慰める行事も続けられている。1000年以上前に死んだ武将が、現代東京の中心で、今なお祀られ続けている。
将門塚に「絶対に動かしてはいけない」という法的なルールがあるわけではない。歴史的・文化的価値を持つ場所として保存されている。だから「祟りが怖くて誰も触れない」と説明するだけでは正確ではない。だが、ここに別の不思議がある。
都市伝説は現実を変える
仮に祟りが存在しなかったとしても、「この場所を粗末に扱ってはいけない」という物語を、何百年もの間、人々が信じ続けたらどうなるだろう。壊すことをためらう。供養する。そして次の世代にも「ここには触れない方がいい」と伝える。やがて伝説そのものが、現実の都市に影響を与え始める。
将門の祟りが本当に存在するのか、それは誰にも証明できない。しかし一つだけ確かなことがある。940年に亡くなった一人の武将の物語が、1000年以上経った現在も、東京という巨大都市の中心に「場所」として残っている。江戸は東京になった。大名屋敷は消えた。木造の町は高層ビル群になった。それでも――将門塚は残った。
将門塚を守っているのは、本当に祟りなのか。歴史なのか。信仰なのか。それとも――1000年間、この場所を恐れ続けた、人間そのものなのか。


